入院生活2週目 |
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| ◇発作が彼女を苦しめる◇
あいも変わらず発作は頻発する。シリーズ形成の発作の合間にとても苦しそうに泣く。これが1番の心といわず全身を締め付ける私たちの悲しさだ。1回の発作は5分から10分ほど連続して起こる。てんかんの発作とは脳のなかに砂嵐がおこるようなものだとよく表現される。そのあとはぐったりと元気がなくなる。寝返りをうつのもけだるそうである。目がさめているだけの状態。ばなな、あなたはきっと濃霧のなかに漂っているような状態なんだね。なにも見えない聞こえない、生きているお人形。
ゾニサミド投与から1週間がたち、6mg/kg/dayに増量された。目立った強い副作用はなくしいて挙げるとすれば、面会時間中によく眠るようになった。これは軽い部類に入るそうだ。ゾニサミド投与から10日後の薬の血中濃度は2以下。(有効血中濃度10~20)薬が効いてくれる事をあらためて願う。
それから数日後、投薬量を9mg/kg/dayに増量された。この間にも脳波検査を行ったが依然として棘派(点頭てんかん特有の異常派)がみられ、発作も脳波も改善の兆しはみられなかった。
◇家族への告知◇
このころから病気に対する考え方もはじめと比べるとずいぶんと柔軟になってきた。妹に現状を伝える決心がここにきてやっと出来た。母は心配症だからもう少し様子をみてから伝えようっと。私は神奈川、妹夫婦は九州に住んでいるので電話を使う事にした。決心はしたものの、直接伝える事が出来ずに彼女の旦那様に伝言を頼んだ。話しているうちにどんどんこらえきれない感情が溢れてきて、結局鼻水ずびずびで妹の旦那様と会話する事となった。なさけないなぁ。。。
◇生後7ヶ月目は病院のベットの上で◇
発作を頻繁に起こすせいか、声がかわった。すなわちキイキイと甲高い声を発するようになった。お喋りばななちゃんと仲間内ではいわれていた娘の口からは「軟語」が消えた。もはや声ではなく、呼吸とともに声帯が震えているだけのようであった。無表情で痛み以外では泣く事ができなくなってしまった。泣く事さえもできないのか。明らかな感情後退で愕然としてしまった。
◇病院の心配り◇
娘の苦しむ姿を見るたびに、人目もはばからずに泣いていた。見ている事だけしか出来ない辛さ。笑顔。。。。。もうずいぶん見ていないなぁ。そんな私の様子をみかねてY看護婦さんが声をかけてくれた。以前「ご機嫌だと、入浴中に笑う事があるんですよ。」と話してくれたのをうけて、「そうですか、笑いましたか」と感涙にむせっていたのを覚えていてくれたようです。
「どうですか?明日からでもお風呂に入れて見ますか?」まさに天からの囁きであった。Yさん!あなた天使にみえますよ!と心の中で呟いた。笑ってくれるかもしれない!そして少しでも娘のために出来る事がある。面会時間より30分はやくやってきて入浴させてあげられる。与えられた小さな幸福。すごいなぁ。患者さんがたくさんいるのにちゃんと覚えてくれているんだぁ。感動しまくったのはもちろんである。
◇お風呂、気持ち良い?◇
翌日からはりきって病院にやってきた。早速の入浴作業。いや、これは作業ではない。お楽しみなのだ。あほのようにいろいろと娘に喋りかける。
「湯加減はどうかな?お客さん、ぬるめがお好みだったよね。かゆい所はないっすかぁ?」「久しぶりだね、お風呂にいれてあげるのは。」
ここに馬鹿がいる。子供が出来る前は、ならないと思っていた完全なる親ばかがここにいる。
◇Y教授ー驚異の記憶力◇
初診外来で診ていただいたY先生に廊下ですれ違った。するとむこうのほうから声をかけて下さった。「どうですか、なれましたか?」いまだに複雑なおもいを抱えている私は返事に詰まった。「いえ、まだです。」と、かろうじて答えたものの、涙がでてきた。涙もろくなっている。たった1度しかあっていないのに覚えていてくれたのか、という驚き。初診外来を担当しているのであればそれ相当の人数に毎日接しているだろうに。主人はそれなりに目立つ人なのでセットであればわかりやすいと思うが私は地味な、いわゆる弥生系の日本人顔である。
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02/17(火) | トラックバック(0) | 入院生活 | 管理
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